いまから800年余り昔。平家の落人が美和白滝山へ逃れ、城を築いたといいます。落人の中に接ぎ木の心得を持つ者があり、大栗の枝を手に入れ、白滝山の南斜面へこれを継ぎ、収穫した栗の実を集落の人々へ分け与えたそうです。
以来、人々は大切に栗の木を育み、大正時代になって全国の品評会へ「岸根栗」として出品。後に専門家の研究によって、他に類のない上質な甘味をもつ大きな栗として認められました。
現在の美和町岸根河平地区。弥栄湖の近くは、いま見ても峻険な山々に囲まれた自然が残る場所。そのぶん日当たりも良く、栗の栽培には適しているようですが、手入れを欠かさない人々の苦労が忍ばれます。
地元では特産の岸根栗を用いたパイやケーキなどのスイーツのほか、昔ながらの渋皮煮、栗飯など、素朴で味わい深い様々な品物が考案され、多くの岸根栗ファンに支持されています。
|
|