▼インフラと栄枯盛衰(平成時代)
70年代後半からはモータリゼーションが爆発的に発達し、都市の構造や暮らし方を大きく変えた。以降の四半世紀では、世帯あたりの自動車の保有台数が増加し、バイパス道路が全国各地で整備され、公共交通機関も目覚ましい発達を遂げた。
その結果、便利になった分だけ経済のストロー効果は促進され、地方都市の一局集中化が進む。また郊外型の大型店を構える大手資本は、地方都市のロードサイドへ巨大な商業施設を構築し、地域住民のライフスタイルを劇的に変化させた。南岩国町や平田町が急速にベッドタウン化したのも同時期に重なる。
こうしたインフラの発達による市場の変化に中小零細商店は付いていけず、また立地が何よりの鍵だった商店街も完全に置き去りとなった。
あわせて土地の資産価値は高止まりを続け、やがて人件費や家賃などの固定費が経営を圧迫。儲からない稼業に見切りをつける価値観は誰にも止められず、後継者難が商店街の衰退に拍車をかけた。
00年には全国の地方都市でドーナツ化現象が起こり、都市再生のために街づくり三法(改正都市計画法、大店立地法、中心市街地活性化法)が整備されたが、各地のTMO(タウンマネジメントオーガナイゼーション)組織は、計画ばかりが先行し、実践プランが無く、結果的に絵に描いた餅となってしまい、全国でも僅かな成功例を残しただけで、ほとんど実効性が発揮できなかった。
その間にも街の劣化は進み、商店街再生の道はひどく険しいものになった。
就中、商業店舗の老朽化は深刻な問題として表面化する。戦後の復興時期に建てられた建家は、築後50年を超え、改装や改築が困難な物件となっていく。空き店舗化したまま数年が過ぎると雨漏りなどが発生し、テナントとして利用不能になる。老朽建家は残されたまま地主・家主が相続などで変わることで、不動産としての利用価値を失う物件も出てきた。
こうした家屋や空き店舗が、結局は「塩漬け店舗」となって、貸すも売るも成さない廃墟として商店街の中に残ってしまった。
▼近代型商店街の新たな役割(近代)
商店街組織は、「事業者(組合員)の事業の健全な発展に寄与し、あわせて公共の福祉の増進に資することを目的とする」と商店街振興組合法に定めてある。言い換えるなら、アーケードや舗装道路などのハードウェアを整備し、集客ツールとして活用することで、自身の店が地域と共存共栄することを目指すもの。また、地域住民や街の利用者に対して住みやすさを提供しなさい、という意味合いにもとれる。
本来、中心型商店街としての生い立ちをもつ岩国の商店街だが、インフラの拡充やネット通販など販売形態が多様化する時代にあって、いまや中心型商店街としての機能と役割は需要が無くなり、むしろ身の回り品を求める、地域型商店街としての位置づけが求められている。
しかし既存店の多くは商店街の発達期に出店した専門店や高級品を扱う店が多く、消費者ニーズと店の間に乖離が起きていることは否めない。
だが近年では、改正街づくり三法(平成18年)に基づくコンパクトシティ化が促進され、駅前エリアの居住人口は微増傾向にあり、こうした生活者にとっては、やはり街のコミュニティは必要不可欠なものと考えられている。
すなわち、単なる商業集積としての商店街ではなく、暮らしの情報や散歩空間の提供、公共交通機関の充足を活かした福祉・医療の場として、また子育てや教育の場としての機能を充実させるなど、人・物・事が交流する器を商店街が提供することが重要になる。
また、岩国市広域に広がる周辺地域と連携を図り、駅前の地の利が活かせる交流の仕組みづくりは重要で、民間レベルでスムースな連携手段を構築しておくことが中心市街地、または商店街としての役割でもある。
岩国駅前の何が不要で、何に需要があるかを地域住民と一緒になって考え、一つずつ実践していく組織づくりは、今後の駅前活性化を牽引する大きな力になる。街づくり会社や商店街、商工会議所や行政組織が一体となって、街のグランドデザインを共有する必要がある。
こうしたコミュニティをとりまく衣食住の業態は、地域毎に必要なもの。商店街の各店は、ここへ着目することで新たなニーズが発見できる可能性があるのではないだろうか。強力なリーダーシップをもつ街づくりのカリスマの登壇が待ち望まれる。
文責:藤田信雄(中通商店街振興組合副理事長)
>> 中通り商店街今昔(1)
.テナント総数 61
.空き店舗数 10
.空き店舗率 16.39%
<業種別内訳>
飲食店 26
物販店 12
サービス業 8
駐車場業 4
風俗 1
空き店舗 10
(2016.12現在)
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